お客様の声

お客様から届いた声をご紹介します。
皆さんからいただいたメールにはプライバシーに関わる内容が多く含まれます。ここでは地名や人名など個人が特定されるような言葉はできるだけ省きました。また、お便りの内容を分かりやすくお伝えするために、いただいたメールにある程度こちらで手を加えています。あらかじめご承知おきください。

H.O様(奈良県在住) 行方不明の息子と再会できました

シュンさん、このたびは私どもの無理なお願いを聞いて下さいまして本当にありがとうございました。何しろ1年半も行方不明になっていた息子です。息子の車が行方不明になった2週間後に大阪を遠く離れた四国の山中で発見された時には、正直、何か事件に巻き込まれて死んでいるのではないかとあきらめかけました。
 そんな時、シュンさんに霊視していただき「絶対に生きている」と言われたときも、まだ半信半疑でした。親としてはまさか息子が多額の借金をして、取り立て屋から逃げ回るような生活をしているとは夢にも思いませんでした。シュンさんが霊視の中で伝えてくださった「数字の56が見えるところで住み込みで働いている」という言葉、さらに「車の発見場所から50~60キロ」という言葉を頼りに国道56号線の沿線にある会社を夫と二人で探し歩きました。宇和島市の郊外にあるパチンコ店に息子が働いていることが分った時は、正直力が抜けました。
 その後、借金の問題はシュンさんのアドバイスに従って、弁護士を立てて任意整理の手続きを取りました。息子もこれでまた、堂々と町を歩くことができると喜んでいます。自分は一度死んだのだから、今度こそ真面目に働くと言って、知人の会社で毎日汗を流しています。本当にありがとうございました。

M.M様(神奈川県在住) 家族三人で笑顔のある暮らし

シュンさんありがとうございました。私の父は自分の家族を道具か金づるとしか感じない人間です。自分の娘を平気で他人に売ります。家族は父にひどい目にあわされ、私と妹は何度も家出しては捕まり生傷が絶えませんでした。お婆ちゃんも父にいつも殴られているのに逃げ出すこともできずにかわいそうでした。
 私と妹は綿密な計画を立ててそんなお婆ちゃんを連れだし、今では父から遠く離れた土地へ逃げてひっそりと暮らしています。それでもいつか父に見つかり、またひどい目に合わされるのではないかという恐怖感からずっと逃れることができませんでした。父の影に怯えながら生きた心地のしない毎日を送っていました。
 そんなときにシュンさんのことを友人に教えてもらい、父に見つからないで過ごせる土地はどこなのか、また、私たちの未来はこれからどのようになっていくのか、丁寧に教えていただきました。私たちはシュンさんから、危ない土地や危ない時期について具体的に教えていただきました。その言葉を肝に命じて私たちは常に行動してきましたが、おかげさまで最近になってようやく安心して暮らせるようになってきました。やっとのことで家族の顔にも笑顔が見られるようになりました。もし、これからどこかへ引っ越すことがあれば、また必ず相談させてください。これからも不幸な状況に苦しんでいる方々のために、いつまでもこのホームページを続けてください。ずっと応援しています。

T.K様(埼玉県在住)  未来に向けての明確な目標が

シュンさん、ご無沙汰してます。その節は親身になって相談に乗って頂きまして本当に有難うございました。思えば当時の私は短大へ進学したものの両親の離婚や先生との対立があって、学校へも行かずにホストや怪しい仲間と遊び回るだけのすさんだ生活に染まっていました。その結果、父親の分らない子供を妊娠してしまい、これからどうやって生きていけば良いのかも分らず、自暴自棄になって毎日死ぬことばかりを考えていました。
 そんな時、シュンさんに霊視して頂き、私が将来、夫と2人で美容院を経営すると言われたときは本当に驚きました。それは私がシュンさんに相談する中で美容師のことは何一つ伝えていなかったからです。でも、美容師という職業は、実は私が中学の頃から憧れていた仕事だったのです。私はシュンさんの言葉を聞いて、人生に始めて明確な目標ができました。それとともに生きる気力が沸いてきました。
 ただ、おなかの赤ちゃんのことは本当に申し訳ないことをしました。しかし、それもシュンさんから「赤ちゃんは、自分の命をかけてあなたの人生を救ってくれました。その子の命を無駄にしないためにも、あなたがこれから精一杯生きて幸せにならなければいけない」と強く諭され、ようやく目が覚めました。私はこのことを一生背負って生きていきます。でも、こんな私がようやく美容学校を卒業できましたので、まず、そのことをシュンさんに伝えたくてメールを送りました。これからインターンとしてお店で働きますが、そこで出会うという美容師の彼氏や30代の半ばで生まれてくる女の子のことを楽しみに仕事を頑張ります。これからも困ったときは相談に乗ってください。

J.N様(東京都在住)  思いがけない住職先

シュンさん、やっと再就職できましたよ。今日、採用通知が送られてきました。本当に有難うございました。私はずっと東京に住んでいましたから、関西の会社で働くことなんて夢にも考えていませんでした。もちろん、就職情報の中には地方の会社もありましたが、私は多少待遇が悪くても都内の会社で働くつもりでいました。
 それが「1年後の私は関西の会社で働いている」と言われたときは本当にビックリしました。しかも、「いずれは家族も呼んでそこで幸せに暮らしていく」と言うのですから驚きました。しかし、シュンさんにそこまでハッキリ言われたので、関西の会社がだんだん気になり初め、いつしか私のキャリアでは到底入れないような関西の有名企業にまで履歴書を送信するようになりました。
 また、面接の時もシュンさんに言われた通り、商品開発の企画を2つばかりプレゼンできるように準備して臨みましたから、面接官からその質問がきたときには心の中で思わずガッツポーズをしました。
 おかげで仕事の責任も待遇も前の会社より断然良い会社に入ることができました。これから半年か1年は単身赴任ですが、仕事になれた時点で家族を呼ぼうと考えています。今まで勤め先を探して約1年あまり、数十社に履歴書を送り続けた辛い日々がようやく報われた気がします。シュンさんのアドバイスがなければ今日の日は迎えられませんでした。本当に感謝しています。有難うございました。

K.U様(東京都在住)  くよくよせずに生きていきます

2年間一緒に暮らした彼女が「あなたにはもう付いていけません」と突然、置き手紙を残していなくなってしまいました。彼女の両親に連絡しても私の電話はまったく取り合ってもらえず、実家にもいないようです。あまりにも突然のことで、自分でもどう判断したらよいのか分からず、ただ心当たりを探し回る毎日でした。このまま待っていればいつかは戻ってくるのか、或いは自分とはもう本当に縁が切れてしまったのか。ただ、苦しくて仕方のない毎日を送る中で偶然シュンさんのホームページを見つけて霊視をお願いしました。
 シュンさんの鑑定結果は私にとってとてもショックなものでした。彼女には以前から交際している彼氏がいて、今はその男性と一緒に暮らしている。そして、彼女は私の元に戻る気持ちはまったくないということで、すでに自分たちの縁も切れているということでした。はじめはこの鑑定結果を受け入れる事ができずにシュンさんにも何度も質問を繰り返してお手数をかけました。ただ、シュンさんが言われた通り、渋谷で偶然、茶髪の男性と腕を組んで歩いている彼女を見かけました。自分はもし、二人を目撃することがあるなら、相手の男を殴ろうとか、彼女を無理やり家に連れ帰ろうとか、いろいろ考えていました。しかし、現実にはシュンさんが言われた通り、ただ仲の良さそうな二人の姿を黙って見送ることしかできませんでした。そしてその光景を見て、ずっと彼女に抱いていた執着心が嘘のようになくなりました。やはり、自分と彼女は縁がないのだと不思議なくらい自然に納得しました。今はシュンさんに言われた生涯の伴侶との出会いを楽しみにして毎日前向きに暮らしています。彼女へ執着して先に進めないでいた自分が、気持ちを切り替えることができたのはシュンさんのアドバイスがあったからです。これからも道に迷ったときはまた進むべき方向を教えてください。ありがとうございました。

Y.H様(東京都世田谷区在住)  家族仲良く暮らしています

私は32歳の主婦ですが、このたびは何から何までシュンさんにお世話になりました。私は5歳年下の夫と1歳の娘と3人で世田谷区内の賃貸マンションで暮らしています。つい先日までは近くにある別の賃貸マンションに住んでいたのですが、そこは元々夫が一人で住んでいた部屋でした。夫と恋愛期間中にお互い一人暮らしをしているのは家賃がもったいないということで、私が押しかけるような形で同棲状態になりました。実は私はお義母さんとの関係が上手くいっていません。元々お義母さんは私たちの結婚自体に反対でした。義母は結婚後も頻繁に私たちの家にやってきては夫を実家へ連れて行ったり、私が食事の支度をしているのに、夫を外へ連れ出して外食しながら離婚を勧めたりしていました。それでも子供が生まれたときは喜んでくれて、これでお義母さんとも仲良くなれると思っていたのです。でも、私の考えが甘かったのです。
 ある日、主人はお義母さんに言われるままに、産後に体調を崩して寝たり起きたりの私がちょっと寝込んでいるスキに、大切な娘を連れて実家へ戻ってしまったのです。私は娘を返すようにお義母さんに何度頼んでも、「あなたには育てられない」「離婚しなさい」の一点張りで娘を返してくれません。しかも、私が働けないことを知っていながら、借りていたマンションの保証人を降りて賃貸契約を勝手に解除してしまったのです。私の貯金は生活費と私の医療費でほとんどゼロに等しく、夫は自分の貯金通帳はすべて実家へ持ち帰ったので、私は本当に文無しの状態で突然放り出されたのです。私は地方出身で東京には親戚や友達も少ないため、その後1週間近くを福祉施設で泣きながら過ごしました。何よりも自分の赤ちゃんをもうこの手に抱くことができないのかと思うとそれが辛くてたまりませんでした。
 その後、都内の友人宅に身を寄せた私はネットでシュンさんのHPを見つけ、誠実な文面を信用してすぐに相談しました。シュンさんは法律上の対応を教えてくれるとともに、来年の今頃は、お子さんを抱きしめているあなたの様子を見ることができるから、この問題は早期に解決すると断言してくださいました。そして訴訟で親権を争う前に、母親として自分の子供を守るために、お義母さんと正面から話し合わなければならないと強く諭してくれました。私は勇気を出して世田谷の夫の実家へ行きましたが、不安で近所からシュンさんへメールを送ると、「近所だから」と言ってわざわざやって来てくださいました。私の友達ということで、義母や夫と向かい合ったシュンさんは、二人の言い分をまるでそう主張してくることがあらかじめ分かっていたように的確に退けていきました。そして母と子の絆の深さや人の縁について話しながら、主人とお義母さんがどれだけひどいことをしているのか、分かりやすく静かに語ってくださいました。私はあのとき、あんな義母の姿を初めてみました。誰の意見にも耳を傾けず、ましてや誰かに意見されようものなら怒鳴り声を上げて反発する義母が、シュンさんの話に素直にうなずいていたのです。
 おかげさまで今、私はお義母さんが借りてくれた世田谷区内の別のマンションで夫と娘と3人で幸せに暮らしています。義母も時々遊びにきては私に料理を教えてくれるようになりました。ついこの間まで自殺まで考えていた自分がウソのような生活です。義母や夫はシュンさんのことはおろか、あの日の話し合いのこともあまり口にしません。私には優しくて頭の切れる、すごくカッコいい男性(笑)に見えましたが、義母や夫は心の中を見透かされているようで本当に怖かったと一度だけ話していました。本当にいろいろありがとうございました。もう絶対に娘を離すことなく家族みんなで仲良く暮らしていきます。

J.N様(仙台市在住)  開店当初から大繁盛

私は地元で創業150年の老舗料理屋を経営しています。仕出しと予約専門で料理を提供してきましたが、このやり方が時代の流れに合わなくなったのか、売り上げは先細りで最近では赤字を出す月も出るようになってきました。このままではいけないと思い、お店の改装や新店舗の出店なども視野に入れながらコンサルタントに経営診断を頼んだものの理屈通りに数字は上がらず、八方塞の状態の中でシュンさんに相談しました。シュンさんは私の希望を聞いてわざわざ仙台まで来てくれました。そして私の話をじっくり聞いた後、店内を見回すと、「このお店にはあなたやご家族を守っている力を感じますから、絶対に壊してはいけない」と強くおっしゃいました。そのときのシュンさんの話があまりにも正確に私や家族のことを言い当てていたので、私はシュンさんの言葉を信用してお店の改装を必要最小限にとどめました。そして新店舗は和風レストランを考えていたのですが、これもシュンさんの勧めにしたがい、駅近くで高級食材を使った和風弁当屋をオープンしました。
 私は自分のお店の経験から、高級料理を高い値段で提供する商売に限界を感じ、安い値段で手軽に楽しんでもらえる和風レストランを郊外の幹線道路沿いで開くつもりでした。そして、本店の老舗料理店のイメージを守るために、コンサルタントの意見に従って和風レストランの名前まで決めていたのです。しかし、シュンさんは私の家には150年間、私たちの家系を守ってきた強い力を感じるので、その看板や信用を活用して、今のお店の名前で新店を出すべきだと強く主張されました。そして、本店との差別化は商品や営業形態を変えることで考えるべきと言われ、具体的に”老舗料理店が提供する高級食材を使った和風弁当”というコンセプトまで示していただきました。しかも、その後も弁当屋の場所を決めるために何箇所も実際に足を運んでいただき、今にして思えば本当に良い場所を選んでもらいました。
 和風弁当屋は開店当初から大繁盛です。平日の昼時は毎日お店の外までサラリーマンやOLで長い行列ができています。また、最近ではお弁当を食べたお客さんから料理店の方に予約が入ることも増えて、シュンさんがおっしゃる通り良い相乗効果が出ています。もし、あのとき別の名前で和風レストランを経営していたらいったいどうなっていたのか、時々考えて苦笑いしています。商売が上手くいくのか失敗して借金を抱えるのか、その違いは本当にわずかなことなんだと実感しました。そしてこのことを思い出すたびに、これからもより慎重に、より広い視野を持ってお店を経営していかなければならないと身を引き締めています。シュンさん!仙台に来たときは、また是非うちに立ち寄ってください。何のおもてなしもできませんが、精一杯おいしい料理を食べていただきたいと考えています。今回は本当にお世話になりました。そしてこれからもよろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。本当にありがとうございました。