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私は特殊な能力を持っていながら逆にそのことで円滑な人間関係が作ることができず、長い間人間不信に陥っていました。私が良かれと思って伝えた言葉は、多くの場合、悪い意味に受け取られて私自身が攻撃される材料にしかなりませんでした。それは無意識に私の頭に浮かぶ映像は、相手にとって辛い未来の出来事が多かったからです。人間にとって良い出来事と悪い出来事では、本質的には悪いことの方が深く心に刻まれるものなのです。
私は大人になってからの一時期、ずっと自分の口を閉ざしていました。そればかりか人と会うことを拒み、長い間、家に引きこもっていました。それは誰かと会って話をすると、その人のイメージが頭の中に形作られます。その時その人に危機的な問題が迫っていると、決まってその状況が頭に浮かんでしまうからです。しかも、それを本人に伝えれば嫌がられ、黙って見過ごせば、不幸を救えなかった罪悪感にさいなまれます。その苦しみから逃れるために、私は人と接すること自体をやめたのです。
そんな混沌とした日々を過ごしながら、私は生きることの意味を問い続けました。私はなぜ生まれてきたのか。どうして私にだけ、この力がもたらされたのか…
他人との接触を絶ったことで、私は平穏な日々を過ごしました。もう、知り合いが不幸に苦しむ映像を見ることもなく、それを本人に伝えるかどうか悩むこともなく、増してや善意を悪意に受け取られて自分が責められることもなくなったからです。ただ、孤独な生活には何の喜びや達成感もなく、何一つ社会に貢献できない生きているだけの時間は、砂を噛むような味気ない毎日でした。
生きることの意味はさまざまに語られています
「幸せになるために」「自分の仕事を成し遂げるために」「前世のカルマを克服するために」など…私自身、この問いに確かな答を見つけたわけではありません。ただ、誰かを助けることも愛することも頼られることもなく、世間から孤立して生きる日々は、むなしさを痛いほど感じるだけの空虚な時間でした。自分が社会に対して何の役割も果たさず、必要のない人間と感じる疎外感は、リストラされて再就職のできない中高年サラリーマンが数多く自殺している理由と一致します。
人間は一人では生きていくことができません。人間の集団である社会の中でそれぞれが何らかの役割を果たすことで、社会から生きる道を与えられるのです。したがって人間は自分が社会から必要とされないと認識したときに、生きていくことができないと感じるのです。
私は生きる気力をなくして家に引きこもりながら、それでも生きたくてもがいている心の中の自分を否定することができませんでした。そして、生きたいと思う自分の存在を認めたことで、私は社会との係わり方を必然的に模索することになったのです。
私のやるべきこと
私は自分が社会で生きていくために何ができるかを考えました。自分のスキルの中から何を選択することが、最も効率良く世の中に貢献できるかを冷静に見極めました。その結果、他人には無いこの特別な能力を生かすことが、最も効果的であると考えました。
そこで私は自分の能力を生かしながら、他人とも上手く係わっていけるように自分に2つのルールを課しました。まず第1は、今後私がどんな映像を見たとしても、本人から知りたいと頼まれない限り内容を伝えないことです。私は今までも好んで口を開いていたわけではありません。しかし、生命の危険やそれに匹敵する人生の重大事だけは、教えてあげるのが私の使命と考えてきました。これからはそういった問題さえも心を鬼にして、絶対におせっかいを焼かないことにしたのです。
もう一つは多くの人の役に立つためにこの能力を使うことです。私が社会に貢献することで、私は社会から生きる道を与えられるのです。私が家に引きこもっていた苦しい時期に、身をもって実感したこの原則にしたがい自分の能力を生かしていきたいのです。
今まで私の元には口コミで私の噂を聞いた多くの人たちが訪ねてきました。そのほとんどは人生の先行きや過去の問題について、霊視による解決を私に依頼するものです。しかし、中には「本を出版する」とか「テレビで取材する」とか、うまい話を私に持ちかけながら、結局は自分自身が金儲けをしようと目論む人も多くいたのです。名前は伏せますが「教祖にならないか」という宗教法人までありました。
そんな強欲な人たちにうんざりしていたころ、ある関係の社長が、彼の事業の先行きを霊視するために訪ねて来ました。私は彼の事業の将来性について、霊視で見たままに率直に答えました。社長は私の話に大変驚きながらも、私の言葉を素直に受け止めて感謝して帰りました。それから社長は時間を作っては私に会いに来ました。そして来るたびに「もっと多くの人のためにあなたの力を使って欲しい」と熱心に訴えたのです。
私は社長の言葉に私利私欲を全く感じませんでした。それどころか話を続けるうちに、実直で他人を思いやれる愛情深い人柄を信用するようになりました。また、私の力を生かすために、損得抜きで告知や管理を引き受けてくれる会社があれば、私にとってもありがたいことです。そこで私は「あまり派手に宣伝をしないこと」と「維持管理費用以上の金儲けに走らないこと」を社長と約束して、ホームページを公開することにしたのです。それが2003年5月のことです。
現在でもこの社長は度々私の元を訪れて、事業やプライベートな問題についても私の霊視を判断の材料にしています。そして、2005年12月、霊視による私の負担を軽くするためにスタッフの数を増やし、スムーズなサイトの運営ができるように、新たな会社を作り対応していただくことになりました。